私には師匠がいます。十数年車の整備を携わった時に先輩となった人。
今仕事がそれなりに出来るようになったのはこの人をみてきたからだと思ってる。
趣味も車と音楽等ほとんど同じ。40年近くたった今でも親交ある(とこっちは思ってる)
私は熱しやすく冷めやすい。師匠はこれにストイック&ハードをプラスな感じ。
師匠に影響されたチョイカジった話です。
小さい頃 トランシーバーというのが流行った。
上流家庭(?)的なところの子は持っていて、羨ましかったものだが、わがままは言った記憶はない。
小さい頃はおおよそ贅沢は敵だと教わったものです。
それがあったからか 欲しいものがあってもカタログとか
比較とか念入りに調べてそれでも欲し気持ちが残ってたら買う。しかも背伸びはしないという具合。
衝動買い的に物を買うのはずっと後のことです。
左は僕の師匠に促されて買ったレーシングカート
スイス ハットレス。 いわゆる押しがけのやつです。
もともと車好きの整備士だったのでカートに興味持たないわけがありません。でも二十歳頃はそんなもの買う勇気はなかったですね。買ったのは30前でした。
左は派手好きな師匠がベネトンカラーで塗装した移動車
塗った後、出来栄えに首をひねりながらF1のデザイナーはすごいよなあ。なんであっちはかっこいいんだろと二人で首ひねったもんでした。(HKFの文字は私のペイント)
荷台は二段にして2台のカート収納。
もちろんこれで車検に通してます。(色塗りは車検後)
この車で移動する勇気があるのか とお思いでしょうが
その時は何とも思わなかった。
ですが「運転はおまえがしー」(し-は「してよ)の意)
は師匠の弁。
やっぱり恥ずかしかったようです。(そりゃそうか)
もっともこれでカートランドとか行ったのは1~2回だった。
(結果的にそうだったけど そこまで物を作り上げる師匠はソンケーでしたね。「やって見せ」を地でいく人でした)
この車は短命でしたが、その後も師匠はキャラバンを改造してカートが2台積める様にして活動しました。
察しの良い方はお分かりと思いますが その影響の名残が Vol.01「模型工房」 に反映されているのです。
残念ですが これの活動の記録はほとんど残っていない。1992年くらいだったと思ってます。
まだビデオカメラが普及していない頃ですが 唯一借り物の8mmカメラで撮った初乗り映像のみ残ってました。
カメラは驚きのフジカシングルエイトです。(ハンディカメラのパイオニア)
体重差は大きい。タイトなコーナーでその差がよく分かる。
僕のは滑らせるほどパワフルには振り回せませんでした。
師匠のはアクセルコントロールしないとスライドしてしまう。
でもカート遊び後半時期では後ろにつくけど抜けなくなったといってましたので
走り方も少しは上手くなってたんでしょう。記録としては何も残ってませんけどね。
いやあ 面白かったなあ。あの頃。 当時はそんなにもう若くないと思ってましたが
今思うと十分若い。やっぱ若い時に遊んでなんぼ ですね。
今でも大事に取ってる ヘルメットとレーシングスーツ(JAF公認の買ったんだね。)捨てられないね~。くぅ~っ!